菅田将暉の父親が凄い!立志伝中の人の人気俳優の育て方

人気・実力ともに国民的人気俳優として大活躍の菅田将暉さんを育てた父親の菅生新(すごう あらた)さん。

ご本人が成功しただけでなく、息子さんたちも様々な分野で実力を発揮しています。

そして菅生家の中心には、父親への感謝や家族を大切にすることを教え、全力で子どもたちに向き合う母親の好身さんの存在がありました。

菅田将暉の家族構成

菅田将暉の家族
菅生新オフィシャルブログ「スゴー家の人々」
左から新樹さん、健人さん、新さん、好身さん。

将暉さんの家は両親と弟さん二人の五人家族です。

菅生 新すごう あらた さん
好身よしみ さん
長男大将たいしょう さん菅田将暉さん
次男健人けんと さん将暉さんの4歳下
三男新樹あらき さん将暉さんの7歳下

パパ将暉のここが凄い

新(あらた)さんは正に「立志伝中の人」です。

母子家庭で育ち、小学6年生の頃から新聞配達で家計を助けていました。

周りの友達は寝ている時間から働いて大変だったはずなのに、本人は「このような状況があったからこそ、逆境に強くなった」と言っています。

苦労して勉強に励み同志社大学法学部を卒業し、藤沢薬品工業株式会社に就職します。

営業でトップ・セールスを達成するなど、優秀な成績を収めた経験を活かし、自己啓発系プログラムの販売代理店として独立しました。年商も億を超える実績をあげ、ベンチャー企業向けのコンサルティング業へ転向されました。

一流企業のトップの方々との交流も多く、HISの会長の澤田秀雄さんなどが参加する会で、デビュー前の将暉さんが受付や資料の配布をしていたそうです。

パパ将暉の教え

「小さい頃から会社の社長と話をして人間観察しろよ、とね。世の中を動かしている人を観察しなさいという教育です」

「小さな頃から、大人の世界の空気を吸わせておく。それが後々、社会に出るようになってから、何かしらの形で出てくるもんだとは思いますよね」

「縁を大切に、しっかりと育むこと」

息子たちに子どもの頃から「帝王学を身に付ける機会」を与えていたんですね。

将暉さんが人気俳優として成功した背景には、社会人としての大事な素養を既に習得していたことが影響していたようです。

そして、将暉さんのドラマデビューのきっかけを引き寄せたのは、新さんでした。

大手事務所のオーディションの決勝に残ったことで事務所に所属することが決まり、高校生だった将暉さんの学校の休みと、新さんの東京での仕事が重なったときに事務所に改めてお礼に行ったときのことでした。

マネージャーさんに、せっかくなので東京にいる二日間で挨拶まわりに連れていきましょう、と言われて飛び入りで受けたオーディションで決まったのが「仮面ライダーW」でした。

お父さんが日頃から言っていた「縁を大切にする」ということから、将暉さんの役者としての人生が始まったんですね。

こうして順調にキャリアを築いていき、あるお正月に里帰りした将暉さんが、三男を買い物に連れていき、洋服をたくさん買ってあげたそうです。そしてさり気ない「お父さんもやってくれたから」という一言に、親としてうれしい言葉だったと新さんは言いました。


ママ将暉のここが凄い

新さんに負けず劣らず意思が強く粘り強いのが母親の好身さんです。

新さんに一目惚れした好身さん。

まだ結婚に乗り気でなかった彼をある意味「力尽く」でその気にさせ、途中で腰が引けてきた彼と喧嘩したときには

「家庭を持つことから逃げるなんて、男らしくない!」
「男のくせに人生から逃げるのか」

と力強い言葉で奮起させたと言います。

新さんが脱サラ、起業したときは2人でなんと年商4億5,000万円を達成していたそうです。

ところが子どもが生まれてからは、育児に専念して事業からきっぱり手を引きました。

どれほどディープに子どもたちと接してきたかと言うと、

  • プロレスごっこはママも一緒
  • 砂場ではママも泥だらけになって遊ぶ

このように、体当たりで触れ合っていたそうです。

何事も正面から受け止めてくれる、タフなお母さんですね。

将暉さんは、二人の弟さんの面倒をよくみるお兄さんだったそうです。

お父さんが仕事でいつも帰りが遅かったり、出張が多かったりして家に居ないことが多いなか、将暉さんが末っ子の弟をお風呂に入れたり遊んであげたり、パパの役割を果たしてくれていたそうです。

中学生になった将暉さんの試験期間のある夜、お母さんが寝室を覗くと、右手に教科書を持ち勉強をしながら、左手で三男をなでて寝かしつけていたそうです。最高のお兄ちゃんですね!

お父さんが仕事で家にいないことが多かったので、好身さんは常に「今、こうやってご飯を食べられているのはお父さんが頑張ってくれているからよ」と子どもたちに伝え、仕事の内容も具体的に教えて、子どもたちが具体的に感謝できるように心がけていました。

新さんの講演会にはなるべく子どもたちも連れて行き、一番後ろの席で見せました。内容は理解できなくても、お父さんが頑張ってくれている空気を吸わせられたらなという思いでした。

あと、私が教えられることは、甘えも油断もたっぷりとある家族や本当に近い人に、どこまで外と同じようにできるか。根本の命をもらっている親とか、おじいちゃん・おばあちゃんをはじめ、身内への感謝の気持ちがついつい薄れてくる。そこを今一度、認識させる。言い続けるのが母である私の役目だと思っているんです。

家族に対する甘えから、ぞんざいな態度をとってしまったり、乱暴な言葉遣いをしてしまったり、ということはよくあることです。

しかしそこをあえて厳しく律することで、仕事で関わる人達にも自然と丁寧に感じよく接することのできる人間になれる。

社会に出て幅広い世代の人達と仕事をしていくうえで、最も重要なことを幼いうちから学べる環境を作ってあげていたんですね。

こんな素敵なお母さんだからこそ、愛される青年が育つ訳ですね。

お父さんとお母さんがお互いに対して感謝していて、子どもたちが両親に感謝したくなる環境を作り、祖父母に対しても感謝と尊敬の念を持って接することを教える。

すべての子どもたちがこんな家庭で育ったら、きっと世の中はもっとずっと住みやすい世界になるのかなと思います。


菅田将暉のここが凄い

そんなデキる父とタフネスな母、縁と感謝を大切にする両親に育てられた将暉さん。

地頭も相当優秀だったのでしょう。高校は偏差値64の大阪府立池田高校に合格。数学好きで、数学教師を目指して志望大学は早稲田と決めていました。

「仮面ライダーW」でのデビューが決まり、大学進学は諦めましたが、そこからが過酷な日々の始まりでした。

深夜まで撮影をして、短い仮眠を取ってまた早朝から仕事に入る。主役としてのプレッシャーとの戦いの毎日。

一度、レポートが提出されていないと学校から連絡を受けたお父さんに、「学業は疎かにしないと約束したやろ!」と平手打ちされてしまいました。

お父さんとすれば大事な息子を、仕事と学業を両立させるという約束を破るような人間にするわけにはいかないという思いがあります。

将暉さんとしても、決して楽をしたくてサボったわけではない。

「身体が動かへんねん」

撮影ですべての力を使い果たし、家に帰ったらもう動くこともできない。

ズルをするような子ではない。精一杯仕事をして、動けないほどに疲れ切っている息子に対して、それでも甘やかすことはできずに、一度だけ手を上げてしまったことに、涙が止まらなかったと言います。

父親として正面から息子に向き合い、どんなに辛くても約束を守ることの大切さを説いた新さん。心が痛かったことでしょう。

お父さんの気持ちをしっかり受け止めていた将暉さんは、その数ヶ月後に少し余裕の出てきたのか、家族を撮影所に招待しました。

そしてその数年後には、お父さんに青春時代からの憧れの人、吉田拓郎さんと会える機会をプレゼントしました。

これは、もう、そら、うれしかった!ホンマに親孝行でした。ただ、僕が喜びすぎて、息子からしたら「そない、力いっぱい打ってこられても、ラリー返されへんわ…」というくらいのテンションやったのは申し訳なかったなと思います(笑)

弟たちも凄かった

将暉さんと二人の弟たちは仲が良くて、ケンカをしたことがないそうです。

次男の健人さんは、ピアノを始め、色々な習い事をしていました。

ダンスも得意でエグザイルのボーカルオーディションを受けたこともあるそうです。

異色の経歴として目を引くのが、大学時代の初めてのバイトで「衆議院の議員会館での私設秘書」というものです。

駒沢大学ではアカペラサークル「鳴声刺心(めいせいししん)」に所属して、「ケミカルテット」というユニットで全国大会での優勝経験もあります。

将暉さんが歌手として活動する際には、歌の指導をしたそうです。

上京して東京の大学に通っていた健人さんが将暉さんと同居しているときは、多忙なお兄さんのために家事をすべてやっていたそうです。

あるとき、カッブ焼きそばを食べているお兄さんを見て、あんなに一生懸命仕事をしているお兄さんに、自分がちゃんとしたご飯を作ってあげなきゃと、実家のお母さんに教えてもらってお料理するようになったそうです。

多くの人が感動する仕事をしている将暉さんも立派ですし、その影で精一杯お兄さんを支える健人さんも素晴らしいですね。

三男の新樹(あらき)さんは、お父さんが毎月開催している経営者勉強会で、お兄さんと同様に受付や準備を手伝いながら、多種多様な業界の社長さんたちとLINEのアドレス交換をしているそうです。

彼が起業する日も近いのかもしれませんね。

小学3年生のときには、病気になって車椅子生活を送っていた友達が仮面ライダー好きだったので、サプライズで将暉さんを連れて行ったそうです。

両親に相談することもなく、自力でお兄さんたちと調整して実行したという、小学生とは思えない行動力に「あっぱれ」をあげたくなります。

彼もきっと、将来進む道で天下を取るのではないでしょうか。

最後に

素晴らしい両親のもと、個性豊かで行動力にあふれる三兄弟が、新たな時代を牽引していく日が近いかも知れません。

なにか凄いことが始まるのではないかと、ご家族の今後の活躍に期待しています。

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