タモリさんの名言には、疲れ切った心をフワッと軽くしてくれる力があります。
疲れたとき、悩んだとき、頑張り過ぎたときの処方箋にどうぞ。
ただただ笑いたいときにも効果的です。
タモリのプロフィール
名前 | タモリ |
本名 | 森田 一義(もりた かずよし) |
愛称 | タモリ・タモさん・タモちゃん・チーママ・インタモ・無形文化財 |
生年月日 | 1945年8月22日(79歳) |
出身地 | 福岡県福岡市 |
身長 | 161cm |
血液型 | O型 |
学歴 | 早稲田大学第二文学部西洋哲学専修除籍 |
心の遊び
好きな言葉は「適当」
座右の銘は「現状維持」
コツはね、はりきらないこと。
やる気のある奴は去れ。
真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!
あやふやな時は堂々と言うんだよ。
孤独で寂しいは当たり前
頑張りすぎないほうが人生は面白い
友達はいらない。諸悪の根源である
頑張ると疲れる
頑張ると疲れる。疲れるとやっぱり続かないですよ。
適当に働き、真剣に遊ぶ
大切なこと、それは引きずらないことだ。
仕事に遅刻してくるやつは許せるが、遊びに遅れてくるやつは許せない
気持ちを楽に
人間って『自分がいかに下らない人間か』ということを思い知ることで、スーッと楽にもなれるんじゃないかな
仕事も何でも「反省はしない」「反省ばかりしてるとバカバカしくてこれから先、やっていけない」「過去を振り返らない」
まあ、私も結構活躍してるみたいなんですけども、宇宙から見たらもうどうでもいいですね
節操なんつうのはない方がいいですよ。 節操を持ってるとね、やっぱ心が自由にならないからね
ストレスはね発散することはできません。溜まる一方だからストレスを忘れるしかない
ハングリー精神なんて邪魔。この世界ハングリー精神じゃダメだと思うんですけどね。笑いなんか人間の精神の余分なところでやってるわけでしょ
人生に勝敗なんてないし、どっちがいいとか悪いとか、そんな判定みたいなことなんてどうでもいいんだ。
すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。
正義であるとか、こうしなければならないとかいうために、自分の生きかたを規制されるっていうのは、結局、言葉だけを信じて生きてるみたいなもんですからね。
今はね、友達を作ろう作ろうって言い過ぎるよ。友達なんかいなくていいんだよ
前を向いて歩いてたって、つまんないよ。後ろを振り返ったほうが『あれが楽しかった』って楽しいよ。
人生とは後悔する為に過ごすものである
一見、どうでもいい話題をじっくり掘り下げていくと、やっぱりどうでもいいんだよね
長寿番組の秘訣は反省しないこと。毎日の番組でいちいち反省していたら身が持たない。
考えたって仕方ないし。根性がないから、一つの悩みを長い間ずっと考え続けられないんです。(人気が落ちぶれる寂しさについて質問されたとき)
いいんだよ1000回記念なんて。652回と1000回とでどう違う。1000回がどうあろうかとか他人が決める問題じゃなくて、自分の心が決める
大丈夫ですよ。終わりがあれば、またいつか始まりますから。
目標を持つと、達成できないとイヤだし、達成するためにやりたいことを我慢するなんてバカみたいでしょう。
ずれたらずれたでいいですね。たぶんずれてる所も相当あると思うけど、それはそれでいいんじゃないですか
人見知り
人見知りじゃない奴は面白くない
人見知りは“こうしたらこう思われるかも”って身動き出来なくなっちゃうけど、それは他人の事を人一倍よく考えてるという事。だから一歩踏み出すだけで誰よりも人を豊かにできる。人見知りは才能だ
苦手な人がいたら、嫌だなぁって思うんじゃなくて面白がる目で見ると、その嫌なところが面白くなるんです。
対ヒト
日常で一番重要なことを伝えるには低いトーンで小さな声でしゃべる方が伝わる。そうすると相手の注意力が増してくる。大きな声を出せば面白いと思うのは勘違いだ
(相手に喋らせる為には)あまり訊いちゃ駄目なんです。訊くと人は喋らない。まず自分のことか関連することを話す。そうすると「いやいや違いますよ」って感じで話してくれます
初対面の人と上手く話す秘訣なんて無いんです。心構えとしては、初対面と思わない事じゃないですかねえ。この人はよく知っているんだ、仲良しだと思う事です。
話っていうのは、認めていないとどうしても上滑りというか、『この人にはここまで言っても分かんないだろうし、話す必要もないだろう』ってことになるんですよ。
どっちみち嫌われるんなら、うんと嫌われてみたいね。
他人に期待などしなければ、つまらないことで感情的にならずにすむ。そうすれば人間関係に波風も立たなくなり、円満にだれとでも付き合える
こういうこともある
おまえの喋りは、軽い疲労感を覚える
たくさん喋るんだけど、終わってみると何も心に残らない人っているよね
字はしっかりしてるのに内容のない手紙ってあるよね
“頑張ってしたいと思います!”という奴は暑苦しい
やる気のある奴は物事を中心しか見ていない。面白いことはその周辺にあることに気づかず、視野が狭くなる
独善とは善意の服を着てやってきて、嫉妬はいつも正義の服を着てやってくる
大企業が考える都市計画っていうのはどこも同じで、歩きたいような街というよりも、泣きたくなるような街だよね
二千円札は新しくならないけど『なかったコトにしよう』っていうことなんだろうね
西暦がページ数だとすれば、元号は章だと思いますね。それがあるということは、切り替えができますよね。
健康のためなら死ねる
嫌いなもの
名言は好きです。でも、名言を言おうとする人は嫌いです
気取った料理を気取って食わせる料理人はバカ
料理はリラックスして食べるものだから。緊張させるラーメン屋のオヤジとか、緊張させる頑固な寿司屋のオヤジとか、ああいうの大嫌いなんだよ
ミュージカルは許せない。なんで撃たれて死にそうな恋人同士が3度でハモるんだ
仕事
自分の中で『これくらいの力がついたらこれくらいの仕事をしよう』と思ってもその仕事は来ない。必ず実力よりも高めの仕事が来る。それはチャンスだから、絶対怯んじゃだめ。
お笑いをやってるのとこういう番組やるのと気分的に差がないんですよ。同じ興味があることをやってるだけで(NHKスペシャル「巨大災害 地球大変動の衝撃」の、都内で行われた取材会にて)
こういう番組をやるのとイグアナ(のまね)をやるのは全く一緒(NHKスペシャル「巨大災害 地球大変動の衝撃」の、都内で行われた取材会にて)
子供から大人まで分かるような番組をやろうと思った事は一度もない
カメラは別に関係ないんだよ。俺たちがやってることを勝手に映してるだけなんだから。
わからないことをいっぱい残したほうが視聴者に興味を持ってもらえる
みんな笑わせるセオリーを持ってるから、そこでわざと無理難題を吹っかけてみると、次の笑いを求めようとして新鮮なものが見られる。これが、マンネリ化を防いでる。
こうしたら笑いが取れるだろうというセオリー通りのものは面白くない。テレビは完成された芸を見せるのに適さないです。完成された芸というのは時間と空間を共有して、生で見せるものですから。テレビはセオリーにないことが起こった方が面白い。
芸能人は国民のおもちゃ
12歳の女の子と50過ぎのオヤジが一緒に仕事してるのは芸能界くらいのモンだ・・・
人間の本質
この年(73歳)になって褒められたいんです
ほとんどの大人は子供のことをナメてるよ。
人間の不幸は、どだい、全体像を求めるところにあると思うんです
やっぱり近道はないよ。真ん中の王道が近道なんだよ
サラッと言い切る
顔の作りが必要最小限でいいよネ
水辺にいる顔だ
キミは顔が破けてるよね
右目と左目は車間距離取ってるの?
え?キミ、内田恭子に似てるって言われるの?岸田今日子じゃなくて?
トリビア
サラダの70%は空気だよ。空気を食ってるようなものだよ。
『ユネスコ』と『ヨネスケ』は似てるよね。
昨日、ワタシよりブッシュのほうが1歳下だって分かってショックだったよ。間寛平に似てると思って侮ってたよ。
おすぎはスギ花粉症なんだって。
タモリさんの本質
俺は5歳までは、無意識で生きていた
オレはカラオケはやらないんだよ。フルコーラスを歌えるのは『君が代』ぐらい
私のような有段者になると、酒を一滴も飲まずに泥酔状態になれるんだ
もし俺がたけしに何か言いたい事があるなら、会って直接話をする。だいたい、友達同士の大事な話を校内放送でするヤツはいないだろう
いまだに何かをわかったわけでもなく、ただ迷いつつ手探りでやり続けております
オレ全然大人になってないですもん。むしろ拒否した。もうオレはいいんだって、オレはこうなんだ、こういうものなんだってこと、やっぱりこう周りにも見せないとね。アホだぞっていうのをね
年をとって最近は飲めなくなったね。12時間も飲むと辛いね。当たり前だけど
抜け毛は気にするとダメなんだ。オレなんか、気にするのをやめた途端ピタっと止まったよ
このコーナー一人でしゃべってるとなんか全部日本中オレのものにしたって感じ
俺のやる事に意味なんかあるわけないだろ!
オレはマゾの一歩手前の『マゾぎわ族』だよ
俺は反省はしない。
オレ何事もね考え込めないのよ。浅ーい段階で終わってしまうの。上辺だけでこの年まで来てしまったから。
極論すれば、トイレと台所さえあればオレは家はいいと思ってる。
俺なんか黙ってたら女は寄ってこないんだ。まきビシまいたりしないと。
よく考えてみると、なんかオレ、テレビ出ている方が、本来の自由な自分のような気がするのよ。で、日常生活の方がオレは、なんか演技しているように思えてるのよ
僕はね、根本は人見知りなんですよ・・・意外と人見知り。毎日苦しいんだよ・・・
ボクはセオリーを崩そうと思います。そういうことを続けると、相手も自分の邪魔をしてくるようになる。すると自分の中でわからない変化が生じて、全然違う自分が発見できるんです。それがまた楽しい。
私もあなたの作品の一つです(赤塚不二夫さんの告別式にて)
男と女
人がせっかくカブトムシの話で盛り上げても、女は全く興味を示さないよね。
男は女から質問されると、解決方法を考えなければいけないと思うんだけど、女はそれをどうでもいいと思ってるんだよね。話すことによって人間関係を確認してるだけなんだよ
『いいとも』でもたまに5~60歳のオヤジが見に来てるけど、一切笑わないんだ。終わった後に理由を聞いたら、楽しいんだけど、緊張して笑えないんだって。そのへんがおばさんと違うよ。
変態の99.9%は男だよ
意外と本気
明日のことを語れるヤツはゴマンといるが、昨日までのことをキチっとやれるヤツはほとんどいないんだよ
何に対しても両方の視点から見るのが礼儀
すべてのジャンルで”入門編”はありえない。初めてならこれを聴けみたいなものはない。可能ならば若い頃に最高のものに触れておけ。頂点を極めれば裾野が広がる。頂点を極めないからあれはダメだこれはダメだと言う。頂点を極めておけばどんなものでも良くなる
赤塚不二夫さんの告別式での弔辞全文
8月の2日にあなたの訃報(ふほう)に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。
われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第一世代と言っていいでしょう。あなたの今までになかった作品やその特異なキャラクター。私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。
何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して、九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーで、ライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきりと覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに私はあがることすらできませんでした。
終わって私のところにやってきたあなたは「君はおもしろい。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるから、それに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションに居ろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断をこの人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。
それから長いつきあいが始まりました。しばらくは毎日、新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと、ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。
赤塚先生はほんとうに優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると、相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところを見たことがありません。
その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せる、あの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。
あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも、目からはボロボロと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんのひたいをピシャリとたたいては「この野郎、逝きやがった」とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を無化していったのです。
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。
いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月。伊豆での正月。そして海外へのあの珍道中。どれもが本当に、こんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが、京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたはいまこの会場のどこか片隅で、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、ひじをつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら、弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死もひとつのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは、夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、ひと言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました。しかしいまお礼を言わさしていただきます。
赤塚先生本当にお世話になりました。ありがとうございました。
私もあなたの数多くの作品のひとつです。
合掌。
平成20年8月7日
森田一義